【続・10,000時間の法則】自分のペースでいい、大切なのはやり続けるためのモチベーションだ!
こんにちは。
以前の記事で、10,000時間の法則に従って、一つの物事をやりきるのがいかに大変であるかを書かせていただきました。
※下記参照
では、実際に10,000時間を達成するにあたってどのような心持ちでいればいいのか?今回はそのようなアプローチで記事を書かせていただきたいと思います。
一番大変なのは、やっぱり「ことはじめ」!
やっぱり何事もやり始めの段階が一番大変です。初めての環境、初めて会う人たち、やったこともないこと、それらは全てストレスになるのです。
だから、大変なのです。まずはこれを乗り切りましょう。
とは言っても、大体の人がここで脱落するのですね。「こんなはずじゃなかった」、とか「自分には向いてなかった」などと言い訳を残していきながら…。そういった人たちは、向いている/向いていないの以前に、ただ我慢が足りなかっただけなのです。
誰でもいきなりスーパーマン/スーパーウーマンになるのは不可能なのです。まずは、難しく考えずに、先人たちの物真似でもいいので必死に地べたを這いずりまわりながら追いつきましょう。難しいことを考え始めるのは、その後です。
有名な言葉に「守・破・離」というものがあります。これは元々、かつての日本における芸事を極めるための掟のようなものですが、簡単に書くと以下のような考え方です。
- 守:先人や師匠の教えを守り、その道を極める。
- 破:その教えの中から、自分に合ったスタイルを組み合わせてアレンジする。
- 離:アレンジした自分のスタイルをさらに進化させ、自分だけのスタイルを確立する。
僕の考えもまさにこの通りなのですが、まずは「俺が!私が!」ではなく、先人の教えを守った方が結果的に早く上達するようになるということですね。
「俺は今までにないことをやるんだ!俺はそこいらの凡人とは違う!」とムキになっている人を時々見かけますが、まああまり大成しない人が多いですね。何故かというと、本人は特別なことをやっているつもりでも、側から見たら大したことをやっていないからです。残念ながら。
確かに、とてつもない才能を引っさげながら、いきなり型破りな方法を編み出す所謂"天才"と呼ばれる人たちが存在します。
しかし、凡人にはそんな人たちを真似するのは不可能なので、まずは教えを守りましょうということです。
そもそも才能というものは、他人が評価するものであって自分から言うものではありません。他人から評価されていないのに、自分は才能があると思い込んでいるのを何と呼ぶか?それを自己満足と呼ぶのです。
慣れとマンネリ化による葛藤
ある程度慣れてくると、段々とこう感じるようになります。
「あれ?なんだか続けているけど、自分の限界ってここまでなのかな?」
と。
ここの段階になると、段々とマンネリ感を感じるようになり、これ以上続けても無駄なのかな?と思い始めるようになります。そして、そのままフェードアウト。。折角ここまで頑張ってきたのに、これでは非常に勿体ないですよね。
実はこう感じ始めるのは、次のステップに進むためのサインなのです。
じゃあ、どうすればいいのか?
それはズバリ、「プロに見てもらう」です!
素人同士でワイワイやるのもいいと思いますが、やはりそれだけではいつかは頭打ちになります。そんな中、さらなる成長を期待するにはやはり、数々の修羅場を潜り抜けてきたプロに見てもらうのが手っ取り早いということですね。
もちろん、誰でも良いという訳ではなく、個人の合う合わないというのもありますが、少なくとも彼らはお金をもらってビジネスをしているプロですので、そこは期待しても良いと思います。
あ、ですがプロといってもTwitterとかでやたら肩書きの長い自称プロとか怪しい業者にはついて行っては駄目ですよ?口コミとか人伝でもなんでも良いですが、ちゃんと実績がある人物かどうか情報を集めましょう。
正直な所、僕はオンラインサロンに懐疑的な考えです。確かに、その道で有名な人と出会えたり、スゴいスキルを持った人と出会えるチャンスはあるのかもしれませんが、それも運ゲー要素が強いと思います。
肝心なのはアウトプットを出し続け、それを他人に評価してもらうということです。スゴい人の話を聞くと、あたかも自分もスゴい奴になれたと錯覚しがちですが、残念ながら実践して他人の目に晒されなければ全く身にならないのです。
また、ズブの素人同士で集まっても、上記のように結局ある程度の所で頭うちになってしまうのかなと思います。
だったら、金払ってさっさとプロに見てもらった方が手っ取り早くないですか?確かに、内輪でワイワイやるというのは難しくなりますが、成長のためには、時には耳の痛い言葉も聞き入れることが必要かと思います。
素人同士で褒めあっていても、更なる成長は望めないのです。
スパルタ教育で精神崩壊した僕の高校時代
では、ストイックに感情を押し殺しながらやるのがいいのかというと、これも僕はあまり良くないのではないかなと考えています。
これは僕の高校時代、上記のような考えのもとでスパルタ教育を受け、最期は精神崩壊した話です。
当時、僕はとある高校の吹奏楽部に所属していました。その部活は厳しいことで有名で、なおかつ周りのメンバーもレベルの高い人たちばかりでした。まさしく"意識高い"人たちです("意識高い系"ではなく、本当に"意識高い"でした)
そんな中、周りよりレベルの劣る僕はそれに追いつこうと必死でした。時に周りから蔑まれ、罵倒され、それでももがき続ける毎日でした。
そうした日々を過ごしていたので、確かに上達はしたのですが、ある時完全に精神が壊れました。その時は本当に、周りの目が怖くて“皆が自分を嫌っているのではないか"と怯えていました(はっきりと診断を受けていないので分かりませんが、恐らくうつ病に近い状態だったのではないかと思います)。
ぶっちゃけもう二度とやりたくない、と思えるくらいまで追い込まれました。そこから卒業して、またやってみようかなと持ち直せるまで丸2年は掛かりました。
スパルタ教育は劇薬です。確かに、圧倒的な成長を得られますが、一方で消耗も激しいものとなります。諸刃の刃なのです。
こんなものをずっと続けられる人は、既に人間を辞めているかもしくはサイコパスだけです。長く続けるためには、時にはペースを抑え、しかしユルくなりすぎずに適度に負荷を掛け続けるのが肝要なのではないでしょうか。
「まだ〇〇で消耗してるの?」→うるせェ!!いこう!!(どん!)の精神
最後になります。
あなたはもう、立派に教えを守り、自分なりの解釈をし、いよいよ自分だけのスタイルを極めようとしています。そうなってくると、こんなことを言ってくる人がいます。
「まだ頑張って消耗してるの?もういいじゃん。俺たちとユルくやろーぜ!頑張ってる奴なんてバカみたいじゃん!笑」と。
何故こんなことを言うのでしょう?自分はこんなに頑張ってきたのに。。
それは、あなたの才能に嫉妬し、恐れをなし、貶めようとしているのです。そして、自分の手の届く支配下におきたいのです。そうすれば、いつまでも自分が上の存在でいられるから…。これが、"出る杭は打たれる"の真実です。人は自分の理解の及ばない人間を脅威と見做し、排除しようとするのです。そうすれば、自分は安全だから、と。
こういう人たちには、断固としてNOを突き付けてやりましょう!!そして心の中でこう叫ぶのです!!
「うるせェ!!いこう!!(どん!)」
と。
こうなってしまえばもう、誰もあなたを止めることはできません。あとは我が道をひたすら進んでやりましょう!
内輪でなあなあでやってる連中など放置してやりましょう!
やたらとあなたを「消耗している奴はバカ」と煽る連中は、あなたのためを思っているのではありません。あなたを堕落させ、才能を貶めようとしているだけです。
しかし、あなたに積み上げてきた実績があれば、そんなものは取るに足りません。是非、自慢の武器で"切捨御免!!"をお見舞いしてやりましょう。
それが出来て、あなたは初めて"何者か"になれるのです。